CDと音楽の販売方法の話

最近、僕はCDをよく購入する。
昔から、CDや本をブックオフやGEOとかでよく買ってきた。
あとは、TSUTAYAやジャニスといったレンタル屋でもしこたま借りてきてパソコンに入れたり、といった僕の世代では当たり前の財政力のない若者としての音楽との関わり方をしてきた。

中古より新品を買ってほしいというレコード会社の思惑がある。
一方で、AKBなどに代表する、付加価値のおまけや消耗品としてCDを生産・出荷する大手会社が現在の音楽市場に幅をきかせていることで、音楽市場の中でもその理念や手法が分かれている。

ゴミみたいにCDを中古屋にばらまいて、一方で高いお金をだして新品を買ってほしいとか、昔のような権利形態で利益を同じように徴収したいと願うのは、ネット社会では何を馬鹿なことを、と消費者には思われてるだろう。

インターネットでは違法も含めれば、デジタルなコンテンツはそのほとんどが手に入るとユーザーは感じている。
一方で僕が感じるのは、今になって本当に質が良いコンテンツは、実はお金を払わないと手に入らないように形が変化しているという印象を持っている。

古く大衆に提供されたコンテンツはネット上に散らかっているが、新しいコンテンツは管理とリテラシーが整備され、お金を払わないと手に入らないようになりつつある。
AKBのCDは1円で買えるけど、僕が良いと思っているCDは何年たっても値が下がってないのだ。
これは中古販売の際に「このCDは価値があるから高くても売れる」「これはゴミだ」といった消費者自体の作品への評価に他ならないと思う。

消費者は市場の形が変わっても、ちゃんとした評価をするのだな、と思った。
「価値のコンテンツにお金を払うべきだ」という認識は、単純にアーティストを応援するといった姿勢ではなく、消費者が生活の中で音楽から良い影響をうけられるパーセンテージに影響する。

この認識がないと、ネット上の音楽ばかり聴いて「日本の音楽はくだらない」なんていう使い古された愚痴をいつまでも言い続けなければならなくなる。
もっとやばいと思うのが、アーティスト側がこの構造を理解していないと、アーティストは新しくて質の良い刺激をうけることなく創作活動を続けなければならず、作品の質の向上はきたいできない。

本屋には新しい本や古くて無名な良本がひしめいているのに、街の図書館の黄ばんだレパートリーを資料に作品を作らなければならなくなるのだ。
はじめて音楽を志したときの探究心やワクワクを思い出してほしい。
「もっと面白いものを」と良い作品を探し求めていたその時のように、今の世の中にもまだ触れていない素晴らしい作品が山のようにある。

インターネットが普及することで、大事なものはより見えにくく、手に入りにくくなった。
「探す力」と「質が良いコンテンツを見極める力」が消費者に試される。
自分の感性でものを探求した人のみが、質の良いコンテンツと巡り会える。

spottilyもline musicもダメってことで、僕としてはCDでなくとも、日本はパッケージ販売を主流に、音楽市場が活性化する方向を模索すべきだと感じる。

強く感じるのが、レッスンやレコーディングでお客さんと話をしていても、音楽の話ができる人間が少ないこと。
CDというパッケージがなくなったことで、音楽を通じて生まれていたコミュニティーがなくなり、音楽的な常識を理解しておく必要性がなくなった。
昔でいう「ビートルズはおさえておけ」的な話を知らない人がほとんどなのだ。

別にビートルズを知らなくても良いと思うけど、野球やゴルフ、テレビや音楽とかの娯楽って、半分はコミュニケーションのためにあると思うんですよ。
お互いの趣味や価値観を共有することで社会とのつながりを円滑につくるために使われていたツールとしての音楽を把握していないことは、その考え方が全てに適応することを考えると、社会不適合者になりうる素質の大きな要因にもなりうると感じる。

好きじゃないことでも話題についていけるくらい把握しておくことって、絶対に必要だし。
音楽系の人によくあるけど、プロになりたいです!って言ってるのに、好きな音楽とかの話ができない人ってなんなんだ?って思う。
結局、コンプレックスの逃避とか自己顕示欲のはけぐちとして音楽を使っているような印象を強く持ってしまう。

批判的な話になってしまったけど、最近は色々CDを買って好きな音楽が増えてきて、ちょっと音楽を志した時のような好奇心が戻ってきて楽しい気持ちになる。
音楽の世界に生きてるんだから、もっといろんな人と音楽のつっこんだ話とかしたいのにな、と思います。

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