子供の教育と音楽レッスン

子供の教育と音楽レッスン

エンターテイメント系のレッスン事業では、意識しなければいけないことが二つある。
「レッスンの質」と「顧客満足度」である。
僕もギターやボーカルのレッスンを、体験レッスン含め多くの先生から受講してきたが、駄目なパターンは大体「顧客満足度」が意識されていない。

これは商売に限らず普通の人の心理でも同じだが、人は関心がない話なんてろくに吸収しようとしない。
女性が相談事に答えを求めていないように、悩み事を打ち明ける人がやさしく包み込むアドバイスを期待しているように、レッスンも相手が望む範囲内で指導をしていないと、内容が正しくても本人にとっては的外れなレッスンになってしまう。

「なんとなく印象がいい」「物腰が柔らかい」「話が面白い」「単純にイケメン」といった無関係なプラス要素は、結果として生徒さんとの距離を縮める効果をもたらし、レッスンの質に絶大な良い影響を与える。
それでお客さんが満足し、上手に歌が歌えれば、立派な「一流指導者」となるのだから、カリスマ美容師もてんで馬鹿にできない。

子供と関わっていて、物を教える人間として多いに学ぶ事がある。

「英才教育」なんて親は誰でも一度は考える事だが、子供はそうハイハイと言う事なんか聞かない。
嫌な事はフルパワーで体全体をつかって嫌がるし、体や言葉が成長すればするほど大人は制御が困難になり、思い通りにコントロールする事はできなくなる。
「やりたくない事はやりたくない」のだから、建前や利害で制御がきいている大人なんてかわいいものだと思う。

人は乗らない事には本来のパフォーマンスが発揮できない。
いかに気持ちを高ぶらせつつ、そこに必要な要素を盛り込み誘導できるかが重要で、ストレスで強要すればかならずその反動が悪い形であらわれる。

進学塾は試験の合否しか保証しないし、英才教育はその結果のためにある。
子役タレントが大人になって不幸になったりといった要素の一つに、こうしたストレス教育の反動があるのでは無いかと思う。
とはいえ、子供はそのストレス教育の成果に助けたられたりするから、この辺は本当になにが正しいのかなんてわからない。

指導というのは「自分のコピー」を相手の中に作る作業だと僕は思っている。
だから、自分が育てた人にも「自分で考える力」を身につけてほしいし、僕と同じように悩み立ち止まってほしい。
でも、それが辛い経験にならないように、自分が教わってきた質の良い基礎と、長い経験に基づいた「僕だったらこうする」を教えている。
最終的にどうするかは自分で考えて決めれば良いし、そうするべきだ。

と言いつつ、自分の子供が平凡なサラリーマンになったりしたら「くだらない人生を送るな」とか悪態をついてしまいそうだな、という自分の感情の処理については、今の所適切な対処方法が見当たっていない。

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