歌や音楽制作(DTM)では、ある程度の技術レベルに到達すると必ず「個性やオリジナリティがない」という問題に差しあたる。
つまるところが、自分の歌った歌や作った音楽が「〇〇みたいだね」から抜け出せないのである。
僕自身もそういう経験があるし、レッスンでもレベルの高い生徒さんには、この悩みを抱く人が少なくない。
個性がない「〇〇風」な音楽は、パッと見で良いものに聞こえるのだが、オリジナルと比較されると見劣りしてしまうし、同じような類似品を作っている人間が多く存在するため、飽きられやすい。
個性やオリジナリティーは、そのほとんどが自覚がないだけで誰でも持ち合わせているものである。
いかにして、自分の中にある個性を引き出すことができるのだろうか?
人は誰でも、憧れて真似する
子供は成長するとき、説明していないことも見て真似して学習し、自分だけの力でノウハウを身につける。
音楽が好きで練習をする人は、大人でも同じように好きな音楽や歌を聴いて、憧れて真似して歌ってみたりする。
そのうちに練習していた歌手にそっくりな歌い方が自然と身につく。
誰でも好きで音楽をやっているのだから、上記の流れで誰かの影響を強く受けてしまうことは当然の流れで、誰かに似てしまうこと自体は何も後ろめたいことではない。
しかし、このままでは「ものまね」の域を出ないので、この状況を打開する方法について考えなければならない。
「影響を受けた」の数を圧倒的に増やす
音楽も映像も簡単に手に入る今の時代、多くの音楽に触れるのは難しいことではない。
それでも、素晴らしいアーティストが無尽蔵にあらわれるかというと、昔と比べて一流のミュージシャンの数は大きく変わらなかったりする。
今、大事なのは「質が高い音楽を探す」技術にある。
誰もが多くの素晴らしい音楽に触れられる状況にあっても、ほとんどが昔ながらの流行歌の延長線上にある大衆音楽を聴くことをやめない。
評価されていない良い音楽は、インターネットの中でもわかりにくい場所に隠れていて、一から探すのが非常に困難なのである。
音楽が好きな人は一生懸命さがすことができるが、そうでもない人は面倒臭がって手に届く範囲のもので妥協する。
その結果、宣伝力が強いアーティストが多数派となり、今も昔も一般人の耳は変化していない。
僕は音楽の専門学校の時代、音楽仲間などには必ず「かっこいい音楽ない?」と聴いてまわっていた。
今でも、生徒さんに聴いている音楽を訪ねたりするが、そのほとんどがアニメやゲーム、アイドルから影響をうけていることが多い。
自分の心に響いた音楽は、かならず自分と同じ感性をもった人にも好まれる。
感覚を常にクリアに保ち「響く音楽」を積極的に探すことで、自分の中には質の良い音楽が集まってくる。
成長がとまってしまうミュージシャンは、大抵あるタイミングで「吸収する」のをやめてしまう。
ホリエモン的に言うと「思考停止」。
自分の中にある音楽が増えないので、飽きてしまうし義務感ばかりがつのってしまう。
常に見識を広げるよう意識したり、「自分の心に響いた音楽」を土台に音楽と向き合っていると「自分の表現したい形」が見えてくる。
「表現したい姿」が見えていない人は、練習が足りないのではなく、吸収している音楽が少なすぎるのかもしれない。
「才能」にどうやって立ち向かうか
レコーディングスタジオでエンジニアとして働いていると、似たような歌い方、レベルの人と何回も出会う。
歌にはもともと上手だったり発声が綺麗だったりという資質もあるが、同じレベルの資質の人間って大体探すと見つかる。
素質だけでは「唯一無二」とはなかなかいかない。
僕は音楽をやっていて「天才」と感じる人を何人か見てきたが、その人たちは歌や演奏がどうこうというより「とりくむ姿勢」そのものが他と違っていたように思う。
教育から学ばず、自分で考えて学び自分で形を作ってきた人たち。
その人たちと同じになろうとしても、それは「その人だからできること」で真似なんてできない。
でも、その人から学び吸収することは、普通の人でも必ずできる。
良い音楽を作ることは、この「才能はないけど、なんとかして勝てないのか?」を繰り返すことだと僕は思っている。
それは結果の見えた作業ではないし、悩み立ち止まったりしてしまう事も多々ある。
でも、悩み抜いて回り道をしまくった先に生み出した結果が、少しだけ自分を成長させてくれたりする。
歌い方ひとつとっても、一つのフレーズに対して「声のトーン」「表現の仕方」「グルーブ」といった要素があったときに、その一つ一つにコンセプトをもって歌っている人と、真似や雰囲気で歌っている人では、その積み重なりで作品の質に雲泥の差が生まれる。
「作品を良くする事」にどれだけ固執し、小さなことにも妥協せずに取り組む姿勢が、いちばんの才能になるのではないかと思う。