ツイッターで何かを呟こうとするとき、いつも手が止まる。
この発言は誰かを悪く言ってはいないか、オチ的な解決点はあるのか、会話のキャッチボールができる方程式に則っているのか、なんて考え出すと何度か書き直して、結局どうでもいい「今日は暑いな」とか「今は〇〇をしてて〜」とか、面白くもない文章になって、つぶやかずに閉じる。
別に誰かを悪く言っていてもいいんだけど、「思っていないのに」悪くとらえられるのは許容できない。
また、こうした名前を出した商売だと、自分の正当性に関係なく雰囲気の悪い人間は敬遠されるので、そうした意味でも何でも言っていいってわけにはいかないんだと思う。
僕がインターネットをはじめた高校生の頃は、インターネットはそれこそ俗に言う「便所の落書き」的なもので、「侍魂」とか「毒舌だっていいじゃんかぁ」とか、2ちゃんとか、要するに暇な人間が遊ぶ一つのサブカルメディアでしかなかった。
それゆえに面白い人間が集まるのが魅力だったし、偶然に出会えた顔も名前も知らない人間との関わりだからこそ心をつかまれる部分が多分にあった。
今はネットは「社会」で、悪いことを言えば罰せられて、リアルな社会はもちろん「社会」で、悪いことはできない。
いや、できなくてもいいんだけど、言いたいことが言える場所がどこにもないってしんどくない?
気が会う友達でもいれば、って話なんだろうけど。
大人になったら友達だって社会の一部だし。家族持ちにはちょっとね。
と考えると、自分の音楽の中では好きなことをいくらでも言うことが許される。
このブログにしてもそう、僕の言葉に文句が言えるのは、その文章をすべて読み終わったそのあとだ。
聞きかじりで文句を言う人間には「ろくに読んでもいないくせに!」という正当防衛が待っている。
僕はきっと、言いたいことをいつでも自由に言いたくて生きている。
その手段の一つが「音楽」なのではないかと思う。