同人音楽を作る必然性

僕はバンドの時代から、8トラックのMTRでオリジナル曲を作ってバンドに提出していた。
そういう意味でも音楽を作ることに対して愛着が強いし、長く続けていることからみても好きなことなんだと思う。

今はいわゆる「同人音楽」という形で自分の作品を発表して5年目になる。
こういう形で音楽を発表するのにもちゃんと必然性があって、簡単に言うと「自分の音楽」というものをオフィシャルに発表できる場所は、現代にはほとんどないからだ。

音楽を作る上で、仕事の取り方は二つある。
「クライアントが求めてる物を作れるようになる」か「自分の音楽を求めてもらう」のどちらか。
とはいえ、今は情報に関連するものは、有名になるとすぐに模倣されてコピー品で溢れかえってしまうので、どちらを作るにしても、「自分にしかできないこと」が内包されている必要がある。
という意味では、どちらにしても土台が違うだけでやること自体に大きく違いはないように感じる。

これは「人に喜ばれるのが嬉しい」か「自分が思っていることを表現したい」のどちらかによって決められる。
僕の場合は後者の性質が強かったので、コンペのように人が求めるジャンルに適応するというのが比較的得意ではない。
だからこそ「自分はこういう作風の人です」と随時公表して、自分の作風を求めている人に自分の音楽を知ってもらう必要がある。

僕は音楽を始めた頃から、良い音楽とそうでないものの区分けがわりと明確にあった。
だから音楽で生きて行くとなった際にも、ただ単純に生計を立てるというだけでなく「自分の納得する音楽で生きて行く」ということを今でもやりたいと思っている。

結果として今はレッスン業が割合として多くなっていますが、レッスンに関しても「自分の納得した内容で」喜んでもらいたいし、批判してもらいたいと感じる。

「同人音楽」というフィールドでは、最初から最後までを自分でプロデュースできるし、表現したいものを自分のパフォーマンスの最高のポイントで表現できる。
自分の限界を都度超えられるかチャレンジしているのが苦しくも面白いんだろうし、そうやって作ったものってなんとなく目に見えない「自分の印」のようなものが音の中に内包している。

自分が作った音楽って、きっと自分が今まで聴いてきた音楽の中で、自分の心に響いた部分をつなぎ合わせて産まれたものなんじゃないかと思う。
「自分の印」のついた音楽を発信し続けていくことで、自分の作品を通じて音楽の楽しさを共感してくれる人が増えてくれれば、というのが音楽制作を続ける目的なのかな?と最近ちょっと感じています。

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